東京高等裁判所 昭和49年(ネ)777号 判決 1974年8月29日
控訴人 水川孝行
控訴人 水川英子
右両名訴訟代理人弁護士 大野正男
同 西垣道夫
右大野正男訴訟復代理人弁護士 倉科直文
被控訴人 国
右代表者法務大臣 中村梅吉
右指定代理人 武田正彦
<ほか三名>
主文
原判決を次のように変更する。
被控訴人は控訴人両名に対しそれぞれ金三七〇万四、二三五円及び内金三五五万四、二三五円に対する昭和三八年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
控訴人両名のその余の請求を棄却する。
訴訟の総費用はこれを一〇分しその三を控訴人両名の負担としその余を被控訴人の負担とする。
この判決は控訴人両名においてその勝訴部分にかぎり仮りに執行することができる。
被控訴人は控訴人両名に対しそれぞれ金五〇〇万円の担保を供するときは前項の仮執行を免がれることができる。
事実
控訴人らは、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。被控訴人は控訴人らに対しそれぞれ金五二八万七、〇八六円及び内金四八〇万七、〇八六円に対する昭和三八年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員(ただし、金二七三万六、四八一円及び内金二二五万六、四八一円に対する前同日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める部分は当審における拡張請求。)の支払いをせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、「本件控訴及び当審における拡張請求を棄却する。訴訟費用は控訴人らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は、次につけ加えるほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(事実上の陳述)
一、控訴人ら
(一) 損害について
(1) 得べかりし利益
亡水川孝夫の本件事故により喪った得べかりし利益に関する主張(原判決書六枚目表八行目から同裏四行目まで)を次のように改める。
亡水川孝夫は本件事故当時満二二年一〇か月で、昭和三五年三月二九日陸上自衛隊に二年間(一回更新)の任期制隊員として入隊した自衛官(本件事故当時陸士長)であり、年収金二一万四、六五〇円を得ていた。また、同人は、昭和三七年四月以降、工学院大学電子工学科(夜間)に通学し、将来は電気技術者として民間企業に就職する予定であったから、入隊後一〇年以上を経過する昭和四五年一二月二〇日までには自衛隊を除隊し、以後六〇年一〇か月となるまで三一年間は就労可能であったこととなり、その本件事故により喪失した得べかりし利益を算出すると
(イ) 自衛隊在職中(本件事故後昭和四五年一二月二〇日までの七年間)の逸失利益
前記年収金二一万四、六五〇円を基礎としてホフマン式で中間利息を控除して算出した事故時の現価は、金一二六万〇、九一八円となる。
(ロ) 除隊後三一年間の逸失利益
亡孝夫が除隊後就職すれば、少くとも全産業常用労働者男子平均賃金程度の収入を得られるはずであるから、昭和四五年度の右平均賃金年額金一〇二万七、二〇〇円を基礎とし、生活費としてその二分の一を、ホフマン式で中間利息をそれぞれ控除して算出した事故時の現価は、金七七五万三、二五四円となる。
控訴人両名は、右(イ)(ロ)の合計金九〇一万四、一七二円の損害賠償請求権を、それぞれ金四五〇万七、〇八六円ずつ相続した。
(2) 弁護士費用
控訴人両名は、昭和四六年三月一八日、本件控訴審における訴訟の追行を法律扶助協会を通じ弁護士大野正男に委任し、事件完結後に右協会の定める謝金を支払うことを約した。そこで、控訴人両名が弁護士費用としてそれぞれ支払うべき右協会の定める控訴審において得る利益の最低一〇パーセントの内金四八万円は、本件事故によって控訴人両名の受けた損害であって、それぞれその賠償を求める。
(二) 当事者双方の過失について
(1) 池田の過失
(イ) 作業指揮者である池田は、本件事故発生の直前、下平に責任分界点開閉器の挿入を命じた後に、孝夫に対し本件電気室内の高窓の閉鎖作業を命じているが、右窓の閉鎖は当然通電再開以前になすべきであって、この点において池田には作業手順に基本的な誤りがあった。また、右の手順によって作業を命ずべきであるなら、孝夫に対しすでに通電作業が開始されたことを周知させて具体的な注意・指示を与えるか、あるいは同人に絶縁用保護具の着用を命ずべきであった。(労働安全衛生規則一二七条の二参照)
(ロ) 池田は、一般作業員と同一の作業に従事し、作業員の指揮監督に専念すべき義務を怠った。また本件作業の方法、順序の計画すら作成されていない状態であり、まして作業員にそれをあらかじめ周知、徹底させるどころではなかった(労働安全衛生規則一二七条の九参照)。なお、右労働安全衛生規則では高圧線作業を行なうについて必要な安全準則を定めており、自衛隊の作業だからといって全くこれを無視することは許されないところであり、例えば、同規則一二六条一項三号に定める短絡接地をしなかったし、右接地によっては本件事故が避けられなかったとしても、その取りはずし作業を通電前にしなければならないことから注意が喚起されたはずである。
(2) 亡孝夫の過失
亡孝夫は、通電再開が命ぜられた時には本件電気室内の床の清掃に従事していて、池田の命令を知らず、したがって通電を予知できなかった。また、下平が電気室を出て行ったことも通電とは直ちに結びつかないし、池田から命ぜられた高窓の閉鎖のみに注意を奪われることも監督者の命令があった以上考えられるところである。まして絶縁用保護具着用の指示あるいは特別の注意もなしに池田の命令を受けたことからも、孝夫において通電を知らなかったことを示すものと考えられる。さらに本件事故は、いわゆる労働災害であって、現場監督者のもとで危険な作業が行なわれる場合、安全のためにはとりわけ密接な連絡を保つことが必要であって、個々の作業員は各自勝手な判断を下だすことなく、監督者の指示命令にそのまま従って行動して作業に従事すべきである。まして、陸上自衛隊陸士長である孝夫は上司の電気主任技官池田の指示命令にしたがって行動したものであって、厳格な上命下服の組織紀律のもとにあった孝夫の過失については十分考慮さるべきである。
二、被控訴人
前記控訴人らの主張につき
(一) 損害について
(1) 得べかりし利益
水川孝夫の年令、年収、地位及び通学関係が控訴人らの主張のとおりであることは認めるが、そのほかの事実は知らない。
逸失利益の算定は争う。なお、自衛官であっても生活費は逸失利益から当然控除すべきである。自衛官は、その労務の特殊性から営内居住を指定され住居費は無料であり、一日三度の食事も支給され、制服等の被服も貸与されるが日常生活に必要なその他の生活費、すなわち私服衣類等、日用雑貨、し好品等の購入費、交通通信費、娯楽費などが全く不要ということはない。本件逸失利益の算定にあたっては五〇パーセント程度の生活費を控除すべきである。
(2) 弁護士費用
控訴人両名がその主張のとおり謝金を支払うことを約したことは認めるが、その額が訴訟において得る利益の一〇パーセントを下らないとの点は知らない。控訴審の弁護士費用は本件事故と相当因果関係はなく賠償すべき損害ではない。
(二) 当事者双方の過失について
本件事故の発生については孝夫にこそ過失があった。
(イ) 孝夫は本件事故発生の時、本件電気室まですでに通電されていたことを知っていた。
すなわち、孝夫は池田が下平に責任分界点開閉器の挿入を命じたのを、近くにいて聞いていた。また電気室内で下平が右作業を終った旨の報告をしたのを孝夫は同電気室内の配電盤前面にいて聞いていたし、また仮りに聞かなかったとしても、右挿入を行なった下平が同室内に戻ったことを見て知っていたからである。
(ロ) 孝夫は高圧電流の通電時の危険は十分知っていたから、自ら感電しないように行動を慎重にすべきであった。孝夫は自衛隊入隊後昭和三八年六月二〇日から本件電気室勤務となり、本件事故時まで六か月の勤務経験を積んでいたし、電気関係の学校に通学中の技術者であったからである。
(ハ) また、仮りに、孝夫が池田から本件電気室内の窓の閉鎖を命ぜられたとしても、変成器のアングルに孝夫は足をのせる必要はなかった。すなわち、電気室西側の三つの窓は、本件事故時以前に閉じられていたし、南側の両開き扉は池田自身で閉じてあったし、右扉の上の窓は当日全く開けてなかったから、閉じるべき窓もなかったし、アングルにのる必要はなかった。
(証拠関係)≪省略≫
理由
一、当事者間に争いのない事実及び本件事故発生に関する池田の過失の有無についての当裁判所の判断は、次につけ加えるほか、原判決理由説示(原判決書一一枚目表二行目から同一五枚目表五行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。
(イ) 控訴人らは、窓の閉鎖は当然通電再開以前になすべきであって、作業手順に基本的な誤りがあったと主張するところ、窓の閉鎖作業を通電再開以前に行なっていれば本件事故が発生しなかったことは当然のことであるが、さりとて、通電されていることを窓の閉鎖作業を行なう者に周知させて事故防止のための具体的な注意・指示を与えていたならば本件事故発生を未然に防止することができたものであることは前示引用の原判決理由説示によって明らかなところであり、他方、本件変成器に通電されている間でも、通電の事実を周知させる等事故発生の危険を未然に防止する措置を講じたならば、窓の閉鎖作業を行なうことを禁ずべき理由はないというべきであるから、通電再開以前に窓の閉鎖を命じなかったことをもって作業手順を誤った過失があるものということはできない。また、控訴人らは通電再開後に窓の閉鎖を行なうという前記作業手順によるべき場合であったとしたら、孝夫に絶縁用保護具の着用を命ずべきであったと主張するところ、本件事故は池田において孝夫に対し通電再開の事実を確実に告知して事故防止のための具体的な注意・指示を与えることをしなかったことによるものであって、絶縁用保護具の着用を命ずることは孝夫に通電再開の事実を告げて事故防止のための具体的な注意・指示を与えたことに帰するところ、これが通電再開の事実を確実に告げて事故防止のための具体的な注意・指示を与えることをしなかったことに池田の過失が認められる以上、絶縁用保護具の着用を命じなかったことに池田に過失があるかどうか判断をすすめるまでもない。
(ロ) 控訴人らは、池田において指揮監督に専念すべき義務を怠たり、また労働安全衛生規則にしたがわず、作業の方法、順序の計画を作成せず、まして作業員にそれをあらかじめ周知、徹底させなかったと主張するけれども、本件事故は池田が通電再開の事実を周知させて事故防止のための具体的な注意・指示を与えずに窓の閉鎖作業を命じたことに基づくものであって不十分とはいえ池田の指揮監督によるものであり、また通電再開後の窓の閉鎖作業という作業順序を行なったことには通電再開の事実を孝夫に告げて具体的な注意・指示を与えることなく閉鎖作業を命じた点において危険防止の義務を怠った過失があるものであるから、作業の方法、順序の計画が控訴人ら主張の規則に従うかどうかを論ずるまでもない。なお、控訴人らは、同規則一二六条一項三号に定める短絡接地をしなかったし、これをしておけば通電前にこれを取りはずさなければならない関係で通電についての注意が喚起されると主張するが、労働安全衛生規則(労働省令昭和二二年第九号)は労働基準法四五条(但し、昭和四七年法律五七号による削除前のもの)に基づき定められたものであるところ、これが規定は自衛隊員には適用されず(自衛隊法一〇八条参照)、≪証拠省略≫によると、陸上自衛隊においては電気施設の保全及び取扱いの業務に関し、危害防止及び電力の消費の合理化を図ることを目的として電気施設取扱規則(昭和三五年五月六日陸上自衛隊達第九〇―七号)を定めていることが認められるが、同取扱規則中には高圧電路に関し感電防止のための短絡接地に関する前記労働安全衛生規則一二六条一項三号のような規定がないけれども、自衛隊においてもこのような危険を防止するためには右の規定に準じ必要に応じて停電作業において短絡接地をして危険を未然に防止する注意義務があると考えられる場合もあるところ、本件においては責任分界点開閉器が電柱上に設置されていて、これが本件作業にあたった作業員の不知の間に誤って挿入される危険があったものとは認められないし、仮りにこれを取り付けたとしても、その取りはずし後通電再開についてはやはり作業員に周知させ事故防止のための具体的な注意・指示を与えることをしなければ危険を未然に防止する注意義務を尽したものということはできないのであって、本件においては右の注意義務を尽くすことなく窓閉鎖の作業を命じたものであるから、短絡接地をしたかどうかによって、池田の過失が左右されるものではない。
二、孝夫の過失について
(1) 当裁判所も本件事故の発生については孝夫にも過失があったものと判断するところ、その理由は、次につけ加えるほか、原判決理由説示(原判決書一五枚目表七行目から同一六枚目裏八行目まで)のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(イ) 原判決書一六枚目表七行目中「は当事者間に」から同一〇行目中「できる。」までを「、工学院大学電子工学科にすでに一年半余り通学したものであることは当事者間に争いのない事実である。」に改め、同末行中「孝夫は、」の次に「その電気に関する知識から、高圧電流に接近ないしは接触することがどんなに危険であるかは十分に認識していたものというべきところ、」を加える。
(ロ) 控訴人らは、孝夫は池田のなんら特別の注意もない窓の閉鎖作業命令を忠実に実行したものであると主張するけれども、危険な作業に従事する自衛隊員としては上司の命令を実行するにあたりその危険の発生するかどうかを自己の判断によってこれを定め、危険の発生を未然に防止して命令を実行する義務があるものというべく、上司の命令だからといって周囲の危険を省みず、軽卒な危険な行動をとることが是認されるものではない。
(2) 池田と孝夫の過失の割合について
池田は高圧電流の通電する場所での作業における指揮者であって、その用うべき注意、責任は極めて大きく、ことに通電再開による危険を十分に認識していたにもかかわらず、これが事実を孝夫に周知させることなく本件電気室内の窓の閉鎖作業を命じたものであり、他方孝夫は窓の閉鎖作業に取りかかる前にまもなく変成器のところまで通電されるであろうことを認識していたにもかかわらず、軽卒にも変成器のアングルに足をかけてその上に乗るような姿勢をとったため本件事故を発生させたもので、これらの事実をあわせ考えると、当事者双方の過失は、ほぼ池田の過失七に対し孝夫の過失三とするのを相当と認める。
三、損害
(一) 逸失利益
(1) 自衛隊在職中
孝夫が本件事故当時年収金二一万四、六五〇円を得ていたことと満二二年一〇か月であったことは、当事者間に争いがない。そこで孝夫は本件事故後三八年間は労働可能であったものと認められる。そして孝夫が本件事故がなかった場合に直ちに除隊したと考えられる資料もないので、なお七年間程度は自衛隊に在職するものとしてその得べかりし利益を算定するのを相当とする。なお、自衛隊員がその勤務の特殊性から生活費の大部分を占める衣食住の費用を自己で負担しないことは公知の事実といえるが、その他の私服衣類、日用雑貨の購入費あるいは教養娯楽費などの支出があるものと考えられるから、その特殊な生活環境と年収額に鑑みて、孝夫の自衛隊在職中の自己負担すべき生活費は年収の四分の一とみるのを相当とする。すると前記年収の四分の三にあたる金一六万〇、九八七円を基礎とする七年間の純利益から年五分の中間利息を年別ホフマン式計算法で控除して事故時の現価を求めると、金九四万五、六八五円となる。
(16万0987円×5.8743=94万5685円)
(2) 自衛隊除隊後
右除隊後三一年間の得べかりし利益を算定すると、少くとも、全産業常用労働者男子平均賃金程度の収入を得られるものと認められ、当裁判所に顕著である昭和四五年度の右平均賃金(労働大臣官房労働統計調査部昭和四五年賃金構造基本統計調査報告第二巻統計第一表F製造業(男子労働者のうち学歴計の欄)の現金給与額および年間賞与その他特別給与額の合計)年額金一〇四万〇、三〇〇円より生活費として二分の一を控除した三一年間の純利益から年五分の中間利息を年別ホフマン式計算法で控除して事故時の現価を求めると金七八五万二、一三二円となる。
(52万0150円×(20.9702-5.8743)=785万2132円)
(3) 以上(1)、(2)の二口の合計金八七九万七、八一七円となるべきところ、前示過失割合に鑑みると、被控訴人が賠償すべき得べかりし利益の喪失に基づく損害額は、金六一五万八、四七〇円をもって相当と認めるので、控訴人両名は右損害賠償請求権をそれぞれ二分の一にあたる金三〇七万九、二三五円ずつを相続したこととなる。
(二) 慰藉料
当裁判所も控訴人らの精神的苦痛を慰藉するための損害賠償金がそれぞれに対し金八〇万円が相当と判断するが、その理由は原判決理由説示(原判決書一八枚目表五行目から同裏二行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。
(三) 損害の填補
控訴人両名がそれぞれ本件事故の補償として金三二万五、〇〇〇円ずつの支払いを被控訴人から受けたことは当事者間に争いがない。
したがって前記各賠償額合計金三八七万九、二三五円から右填補額を差し引くと賠償額は各金三五五万四、二三五円となる。
(四) 弁護士費用
控訴人両名がその主張のとおり弁護士謝金を支払うことを約したことは当事者間に争いがなく、本件控訴審における認容額、事件の難易等その他諸般の事情から当審における弁護士費用として本件事故と相当因果関係にある損害としては、控訴人両名に対しそれぞれ金一五万円を相当と認める。
四、すると、被控訴人は控訴人両名に対しそれぞれ金三七〇万四、二三五円及び内金三五五万四、二三五円に対する本件不法行為発生の日である昭和三八年一二月二〇日から支払済みまで民法所定の法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、控訴人両名の本訴請求は右の範囲で理由があり、その余は失当として棄却を免がれない。
よって、右と異なる原判決は右の限度で不当に帰するのでこれを変更し、控訴人両名の請求を右の限度で認容し、その余を失当として棄却し、訴訟の総費用は当事者双方の勝敗の割合を勘案してこれを定め、なお、仮執行の宣言及び同免脱宣言を付するのを相当と認めて主文のように判決する。
(裁判長裁判官 久利馨 裁判官 舘忠彦 安井章)